(クリップ📎)飯間浩明さんによるTwitterブランド変更の考察 - Togetter
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そういえば一部の学校に「あだ名で呼ぶことを禁ずる」みたいなルールがあることが、親しい間柄でもあだ名もつけられないのは窮屈じゃあないか、と批判されてるのを見たけど、「あだ名を付ける」ということも、権力勾配やつながりによっちゃ関係性、どころかあだ名をつけられた人のあり方を規定してしまいかねないことなのよな。
あだ名だけじゃない。
ものや現象や概念に端的な、ときに蔑称にもなるような呼び名をつけることで、大雑把にひとくくりにしてしまい、個別の差異や例外を見たり考えなくても済むようにして、わかったような、片付けたというか方をつけたような気になってしまうことが、われわれにはよくある。たとえばあいつはネトウヨだからとかパヨクだからとか、そういうやつだ。
そうやって端的に呼ぶことで、こぼれ落ちてしまうものがあり、何かに言及するときの「精度」のようなものが落ちてしまうのではないか、という危惧がおれにはあるのだ。
(クリップ📎)https://twitter.com/ono_matope/status/1684385711955537921?t=f1NWd5z7bLj4lpsYUiEeVw&s=19