マルチモーダル問題が解決すれば自ずと「認知的な閉じ」問題もほぐれるかもしれない。「記号接地問題」にこだわりたくなるのも創作者の心情としてわかるが、AI研究としては、アプリオリな「記号」という発想から「記号創発問題」に課題が移行しているのかな、と思っている。素人考えですが。

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GPT-4を使ってみてのメモ。
実際にAIの「記号創発問題」に当たってみて、なるほどなと思った。統語のなめらかさがあれば、読者はまさに「なるほどな!」と思う(つまり「記号接地」する)。この「なるほどな!」という部分【だけ】をGPT-4は学習している。で、何が起こるかというと「正論っぽいもっともらしさの偏り」を創発する。
高橋睦郎の指摘は本質的で、AIが「記号接地」的でない(高橋睦郎の言うところの〈借り物であって自分のものにはなっていない〉)というのはつまるところ、「時間」と「身体」がないということで、たぶん元々のAIの発想では、人間が期待するほどそれは解決できないだろう(高橋睦郎の言う「懐かしさ」は実に人間的に「時間」と「身体性」を折り畳んだ感性だ)。「人間の学習と同じ」的なことを研究者は言っているが、認知科学的には全く違う学習を人間はしている。「統語がなめらかでもっとらしい」と読者はある種の「人格」を覚えるが、全く発想の違う「補助道具」なのだとみなすのが今のところたぶん正しい。「補助」としては結構強い(それは「Midjourney」で確認済み)。「面白い眼鏡」としてはなかなか良いが、かけ間違うと「視力が落ちる」だろう。
fedibird.com/@2d3m13/110055542 [参照]

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