矢野利裕氏の新刊『学校するからだ』。まだ二章までしか読み終えてないが、矢野さんの「教師=芸人=俳優」論の新たな展開。話題になりそう!しかし、前にも矢野さんとは直接話したが、学校の教師までが芸人的パフォーマンスを無限に求められるのは、とてもネオリベ的とも言え、読みながら、ここで言われる「民主的」な創造性が、リアルが充実した人たちの身体のクリエイティブ全体主義にも感じられ、自己陥没的に撤退する引きこもり身体の自分には苦しいところもあり。一気に読み終えられず。昨日読んだ斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』でも、ひきこもり=自傷的自己愛の人々の身体と欲望を、結論的にはセルフケアとオープンダイアローグに包摂していくことの(わかるが)つらい感じがあった。無限に水平的に続くソーシャルでクリエイティブでケア的な対話性…って、けっこう息苦しくも感じてしまうのだが。もっとも斎藤氏の本は、自己愛=自分自身でありたいという欲望(単純な自己肯定感や自己嫌悪から区別される)の中に否定性やタナトス的なものを含めてはいるが。あと、矢野さんの批評の中ではジェンダーと生殖の問題がどう位置付けられるのか、気になるところ。

@sssugita 矢野本については「良い職場だなー」というのと、「良い学校出身だなー」というのはまあ、ありますよね。あと、前から矢野氏のキーワード的な「生活」が「=仕事」などではないかは感じて、口にしたりはしていますね。

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@sssugita ぼくが自分について「生活のなさ」ととらえているものと重なるものを、矢野くんは「生活」と言っているように思っているというのは、杉田さんのいう「ジェンダー」まわりの指摘かなとも。

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