障害者や高齢者に対して「稼得能力/知的能力があれば、"こちら側"として認めてやる」みたいな言説、本当に偉そうで嫌です。結局、資本主義社会の構造に組み込まれた思考だとも思う……。

夭折を願うというのは「ピンピンコロリ」を願うのに近く、「誰にも迷惑をかけず、繊細なまま死にたい」みたいな幻想のもとにあるのだと思う。さまざまなケアを受けて、いま生きているというのに! この、あなた方が長年使ってきた段差が、いままさに迷惑だというのに!
「迷惑」という、依存への嫌悪感は近代的に作られた価値観なので、資本主義とともに解体もできるはず……。

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若者に「歳を取りたくない。歳をとって鈍感になりたくない」と言われたことがある。
私は、若いうちの方が権威主義に巻き込まれやすいと思う。子どもは大人の権威に逆らっては生きていけない。そして、そのまま若者になり、権威に巻かれがちになる。それは、別に繊細なことではなくて、権威に逆らうのが怖い子ども心を残しているだけかもしれない。
権威に逆らい得る中年を「鈍感」と見なすのは、「繊細」だからではなく、「長いものに巻かれている方が安心」という、ある種厚かましい鈍感さからでは、と思う。

ジェイソン・ヒッケル、野中香方子/訳『資本主義の次に来る世界 』(東洋経済新報社、2023)においては、日本の少子化対策を批判する部分があった。つまり、人口は抑制されるべきだと。
それは正しいのだが、このままの日本の選挙制度では、若齢者に負担が大きくなるだろう。数でカウントされる選挙制度では、絶対数が若齢者ほど少なくなる。
だが、成田悠輔などの「高齢者の集団自決」は人権を無視した、短絡的な考え方であることは間違いない。
そのなかで、高齢者と見なされる人々のなかにも、歴然とした格差がある。
と、思ったときに、世代間で争うのではなく、富裕層を切り崩していくのがいいのではないのかと思う。このままの資本主義でいくと、生態系もろとも破綻する。しかし、資本主義を解体すれば、世代間抗争はもっと穏やかになるかもしれない……。
ジェイソン・ヒッケルには同意できる部分が多いし、この書がベストセラーなのには希望がある。
少子化になれば、人口を減していくことを肯定する政策がいるし、減った若者達が理不尽を背負ってはいけない。
日本の政治力に期待できないのが、つらい……。

若者達に、高齢者の尊厳を削らなくても、あなたの尊厳は守られる、という政治がいま必要なのだ。
ちゃんとしろ!政治!!

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