ハラッサーやヘイターとの「対話」が大切だと過度に主張するアレ、一種のケア労働の強制なんだよな。

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「差別主義者」が「改心」するのに何故こちらが一方的に時間と労力を割かなければならないのだろうか。精神的にかなり疲弊する上に、誤りなどを「指摘」するためにかなりの勉強をする必要も出てくる。当然完全なボランティア。ケア労働の究極形ではないか。百歩譲って互いの歩み寄りならまだしも、「対話が大切」と闇雲に主張する人の多くは批判側が一方的に「傾聴」に徹することを想定している。

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