あのときはギャラリーまでは足が伸びなかったからなあ。192BOOKSはおばあちゃんと息子さんが営業していたが、ソフィカルが揃っており痺れる。カフカの別表紙も見つける。アートブックサーフィンの時間とても良いので日課にしたい。あと絵を描きたい。そのあと、ちひろちゃんの言うとおり、道をくねくねしながら行き当たりばったりでギャラリーを歩く。
2つのギャラリーで素敵な出会いをする。Matthew Marks GalleryのXinyi Chengは、現実的な視界にて人を捉える瞬間の解像度がありありとうつされていて、私にとっては写真よりも映画よりもリアルだった。フクロウかわいい。愛しい人をみる瞬間の感覚、あの人たち怖そうと感じるときのあの気持ち。
そしてgagosianのY.Z.KAMIが素晴らしい。見えるようで見えてない。ふれられそうでふれられない。とは対称的とも言える。KAMIの足が赤い絵は心があの赤に曝されてしまって口が閉じられず泣きそうになった。写真集がどうしても欲しくて受付の方に問い合わせるが無いという。ネット探そう。ーヒー片手に帰ろうと思い歩いていたら、存外ホイットニー美術館が近かったので行く。しかもエドワード・ホッパーをやっていた。観たかったんよ!嬉しい。
テンポよく観られた。Music,music,dance.日本の美術館とちがって写真撮れるのがいいね。帰って調べられる。ホッパーは、空と光がリアル。そして人の心が完全に独りの時間を描くのが上手い。演劇(や映画)が終わって会場が明るくなって、自分ひとりの精神世界から現実世界に移行するあの時間、どうしたらいいか分からないよね。
帰りがけにどうしてもコーヒーが飲みたくて立ち寄ったカフェのフラワーレスチョコケーキ、結局席を取られてホテルで食べたけどとっても美味しかった。作れるようになりたい。日本にいるときはお店のものを食べて、作れるように〜とか思わないけど、こっちだと思うな。非現実にいるからかな。
ホテルに戻ってmtg後、定例は出なくて良いということなのでGARDENリーグを観てダラダラとする。月曜朝のキャスのテーマのために本を読み進めないとなーと思いつつ楽な方へ流される。仕事もしたくない。夜更かしして寝る。部屋も汚い。山谷の谷である。
そういえば、この辺りのどこかの日にふと聞いた「ゆる言語学ラジオ」がめちゃくちゃ面白い。初回放送でソシュールの話題が出てた。言語は差異でできていることが、世界は差異でできているという構造主義に発展したという話。