私はどうなのかな。よくわかんないが、試してみようと使い始めたら、こちらばかりに書いている。特に理由はない。

ツイッターのアカウントは著名な作家、政治家、学者がフォロワーになってくれていたんで、ここにいろいろ書いても発信力のあるかれらの目には届かなくなるよなあ。ツイッターデモもそれなりに日本の政治に対するプレッシャーになっていたと思う。しかしいずれにしてもなんか、本質的ではないような気もしている。日本の社会にひさしぶりに暮らしてみて、本物の向こう三軒両隣の隣人と話すような、そのようなもっとミクロなコミュニケーションが必要なのではなかろーかと思う次第だが、どうしたらいいのか見当がつかない。

ドイツ帰ってくるとまず隣人の家に行ってダベる。あれやこれや。友達の家に電話して飯を食いに行く。またダベる。人と話している時間が桁違いに長い。そこで、最近の暮らしとか、事件とか、世の中のことを話して情報が共有されるわけで、なんかそのような回路が日本では居酒屋ぐらいしかないんではなかろーか。

生きていく上で、安心を供給する要素というのはいろいろな側面があるのは当然だが、多面的であればあるほどよいのはエネルギー的な意味でも当然で、なんか、日本はそれが「金を払って得る安心」がとても多いように思うんだよね。搾取、というより、exploitationと英語でいったほうが若干一般性があがってふさわしいのであるが、「安心」という状態までもが、商業利用されてしまっているのである。

まあなんか、結論をいわせていただくと、居酒屋から社会への弁証法が今の日本の焦眉の課題である (爆 居酒屋で大将に「みうらあ、おまえらあ、難しいこといっとらへんで、とりあえず黒豹シリーズ読んでかんどうせー」とか(実際以前、おまえら話が難しすぎるとおこられていた)ぐらいの感じが、社会の芽生え、なのではなかろーか。

居酒屋は無礼講の空間であるというのは縄のれんが結界になっていることによるわけであるが、逆転するか、結界を解放する必要があるのではなかろうか。先程のべたドイツの延々続くダベリは、居酒屋の外で、シラフの状態で、日本の結界内に限られたその会話と似たような会話がさまざまな隣人と続いているのである。

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@kmiura はじめまして。フォローしました。

居酒屋の無礼講が、「コの字(凹)酒場」では無くなります…酒と肴と会話を楽しむ場、です🤗

どうもありがとうございます。無礼講は言い過ぎですね。

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