ルッキズムと資本主義の話題にて「自分を満足させるための美容なら問題ない(資本主義に取り込まれて搾取される構造が問題)」というのを見たけど、自分が満足したいだけ、自分がしたいようにしてるだけ、と思っている(はずの)ことと搾取や差別との距離の近さ、っつーかもはやほぼ重なってんじゃねというレベル、というのはどこまで共有されているのか
若年層の中でルッキズムが社会問題として認識されつつ同時に美醜への視線はどんどん厳しく自己責任論になっている、というのもこういう理屈だろう
ルッキズムは外見至上主義、美貌差別、外見差別だけで問題であって、資本主義がそれを加速させているけど、資本主義が絡まなければセーフでオッケ~ではない
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