「自分だっていずれ、またはもしかしたら明日にでも体が不自由になるかもしれないという想像がついてない」という批判、そもそも人権ってそういう話かいなというのがあるのだけど、たぶんその想像自体はついている人が多いと思う
それでもおそらく「自分ならそのぐらい我慢できる」「現状のシステムに適応できる」と思ってるんじゃないかな

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「自分もそうなるかも」までは想像できても、現状の社会モデルのせいでどれだけ負担を負わなきゃいけないか、どれだけの、どんな困りごとがあるかというところにまでは、まず知識がないし関心もないし、何より「生活への想像力」が不足していることが原因のひとつなのではと思えてならない

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