大阪で小学生やってたとき担任教師があるクラスメイトの「〜したねん(〜したんだ)」という言葉を「『〜したねん』はおかしい。『〜してん』と言え」と矯正してたのに子どもながら強烈な違和感を覚えてたんだけど、長じて滋賀に住んだら「〜したねん」が普通に使われており(大阪でも一部地域で使われるらしい)、人の言葉違いを"正す"ってやはり暴力的だなと思った
それがもしどこで使われてる言葉じゃなくても、保護者が使ってたとか地域で超局地的に使われてたとかそれらがないまぜになって当人の中で自然発生したとか、色々発生原因はあるだろうしその理由の妥当性みたいなものは誰にも判断できないと思う既存の言葉の意味を破壊するニュースピーク的なものはいかんが
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