池田清彦「多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告」読書メモ 

・「多様性」とは何か?→文化的多様性
生物学や政治用語として使われる「多様性」という言葉の歴史と定義を振り返る。本書のメインテーマは、「文化的多様性」。文化の差異によって、異なる集団同士に排斥し合う関係が生じる。同じ集団内でも、マジョリティがマイノリティを迫害しやすい。差別は身分制度のように、属性に優劣が付けられることによって生じるが、このような差別は時代とともに解消しつつある。

・カテゴリーなんて妄想にすぎない
筆者は、人間のカテゴリー化を批判する。基本的に、あるものと別のものの分類には恣意性がともなう。「世の中のすべてのものは連続的(P48)」である。しかし、人間にはカテゴリー分けしたがる性質が存在する。それが差別の原因になる。カテゴリー分けをやめれば、「多様性の尊重」という概念は無用となる。多様性の尊重という理念のためにあえてカテゴリーが設けられることもあり、それによって優劣や分断が生み出されていると批判する。


池田清彦「多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告」読書メモ 

・「多様性の尊重」の政治利用
文部科学省が掲げるインクルーシブ教育の矛盾や、自民党による、性的マイノリティーへの、「多様性の尊重」というメッキを施した差別を厳しく非難する。
LGBT理解増進法は形だけのものになるのではないか?と当事者から不安の声が挙がっているのは知っていた。わかりやすくまとめられていて、法律は差別を正当化する戦略であることが理解できた。
実例を通して、「多様性の尊重」の概念が政治的な道具として使われていることがわかった。

池田清彦「多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告」読書メモ 

本書には多くの学びがあったし、筆者の主張の大部分に賛成あるいは共感したが、少しだけ指摘をしておきたい。
・内心の自由
親切にしたのにあだで返された、意図的ではないが配慮に欠いた産休クッキーを受け取ったとき、相手を怒るのは筋違いだというのが筆者の主張だが、怒りの感情を抱くこと自体は「恣意性の権利」として保証されないのか?という疑問。(怒りにまかせて相手を攻撃することは別。)そうすると、同性婚を認めつつもLGBTQ+に不快感を抱く人は差別主義者か?という疑問に発展するが、この問題は当事者の間で指摘されていた。(参考:note.com/yoshi33269016/n/n5149. LGBTに嫌悪感を抱くとすぐに「差別だ!」と言われる今の風潮はおかしくないですか?」金城克哉(LGBT+に関するQ&A))

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池田清彦「多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告」読書メモ 

・真のジェンダー平等
政治などで女性枠はないほうが真のジェンダー平等のために望ましいとある。私は、性差があるのは事実のため、男女同数の議席枠・管理職枠があるべきだとは考えていない。一方、参考サイトからは、現状では男女平等の実現を恐れる男性はいまだ存在しており、女性枠がないことによって女性が不利益を被っていることがわかる。筆者はその点を軽視している。女性枠はないほうが望ましい状況となるためには、男女ともにさらなる人格の進歩が必要ではないか。(参考:gendai.media/articles/-/75982?

池田清彦「多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告」読書メモ 

・まとめ
筆者によれば、人類が「多様性の尊重」(「情緒や倫理に抵触したからといって、その言説や行動だけで相手を排斥しない寛容さ(P191)」)を成し遂げる前に滅びてしまうかもね、とのこと。人間には、少数の権力者が多数の人間を家畜のように扱ったり、異教徒は人間でないから殺してもよい、というような今では考えられないような身分差別と闘ってきた歴史がある。人間は道徳的に進歩し、平等が実現しつつあるということだ。人間の進歩の歴史を、私たちの時代で終わらせるわけにはいかない。一人ひとりの日常でのちょっとした忍耐が、マクロな視点では大きなうねりとなって、人類のさらなる進歩を促すのだと信じている。

長文、連続トゥート失礼しました。

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