他のマイノリティに比べると発達障害者に対する権利の侵害への抗議ってあんまり(わたしは)見かけないな。マイノリティとしては結構数が多いし、日本の教育とか就職とかのシステムはかなり発達障害者に差別的な現状があるのに。
競争とか他者への働きかけとか自己主張が苦手な人が多いからかな。わたしも救ってほしいよりは放っておいてほしい気持ちの方が強いタイプではある。

オレンジイズザニューブラックのペンサタッキーが識字障害だって判明するエピソードで、アメリカでは学習障害がある人は試験で時間を延長できるんだって知って「へ〜」と思った。そういう感じの配慮があってもいいよね。ADHDの人は試験中に耳栓つけてもいいとか、他の人と距離をとって情報を減らした状態で受けてもいいとか。人間って情報量が多すぎるから近くにいると本当に集中できないし疲れる。

何かトラブルを起こして話題になった人とか、会ったこともない歴史上の有名人の言動のエピソードに対して発達障害を疑うようなことを言う人はTwitterとかで結構見かけて、それは明確に差別だからやめてほしい。普段「差別反対」と言ってる左派アカウントでもたまにいる。
“発達障害”を、自分では理解できない他者の行動にとりあえず納得するための便利なカテゴリーみたいに使っている感じ。科学がなかった時代の人が災害を神の怒りだと捉えることでとりあえず折り合いをつけてたのと似てるなと思う。
定型発達の人は何一つ失敗しないし他者から突出した行動はとらないし無個性なのか?って考えるとそんなわけないと分かるはずだけど。


発達障害当事者運動が親の会中心だったというのはあげられますね。あと大人の当事者会で社会運動的ではなく居場所的な政治の話題禁止の会が多かったことはあります。
アクティビズムな当事者運動に辿り着くのがなかなか難しい現状があるんですよね。(insteadred🔴、∞より🧩や🔵のシンボルの本邦発達障害界隈への浸透具合が多分一番がわかりやすいと思います)
songbird.cloud/@Setsutheway/10
songbird.cloud/@Setsutheway/10 [参照]

ありがとうございます!人間の性質というよりも、ケアすべき病気、という感じの扱いなんですね。勉強になります。
親の会が強く、発達障害を持つ本人はクリティカルな会話が禁止となると、自己主張をしない受動的な態度が出来上がるのは当然ですね。
発達障害であることを世間に告白する芸能人や文化人もいますが、社会的に成功した人の話なので「発達障害でも甘えずに努力すれば成功できる」というような自己責任論のほうに繋がりやすい感じがしていて、発達障害者全体の権利の話をするチャンスにはあまりなっていないかなという印象です。
教えていただいてありがとうございます。わたしも海外の状況などを調べてみます😃

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