《帰山》の尚隆が「俺は碁が弱くてな」と自称する場面について
振り返ると、それ自体が「彼が戦を好んでいない」ことの比喩に思える時がある。
囲碁は、厳密には単純な陣取り合戦……というわけでもないのだけれど、確かに領地の広さを競う側面は持っている遊戯で。
瀬戸内にいた頃から、戦をしなくて済むならそれに越したことはないと尚隆は考えていた。わざわざ領地を広げなくても民を豊かにする方法を模索しただろう。
外から敵が攻めてこない限り。
他国を侵略して領地を広げ、さらなる力を得て自国を豊かにする。
この考えが根本から成立しない(なぜなら「覿面の罪」になる)常世が彼の性格向きなのは、本人には相当に皮肉なことかもしれないが。
彼がまだ王でなく人間であった頃に本来望んでいたこと(自分の民を守り切る)は他ならぬ戦によって叶えられず、それでも皆に殉じて海に沈むのではなく、新しい国が欲しいと願うのを止められずに導かれて行った先が「戦(内乱以外)を起こせない世界」であったこと。
色々と思うところが際限なく出てくる。
何にせよ、その全てが故郷という異国を忘れないよすがになる点で、本人としては当然の報いだと考えているかもしれない部分がなんというか堪らない。
「生き恥晒して落ち延びた」と実際口にしている人だから、尚更。