#文学フリマ の熱気でやっぱり同人誌を作ってイベント出たいなーと強く思う。
折しも『反差別アンソロジー(執筆陣全員が反差別を主張する、の意味)』がXで炎上しているので「自分がイベント出展する時は『当サークルは全ての戦争・差別・人権侵害に反対します』のポスター掲げて『売上は全額寄付』のポップ付けて和装で行きたい」「小説だけじゃなくてフェミニズム関連のエッセイも書きたい。題名は『(主ジャンル)書くフェミニストですが、何か?』か『身辺 私のフェミニズム』で」と配偶者に熱く語ってしまった。
配偶者は一言「両隣のサークルが『普段何やってる人だろう?』って警戒して目を合わせないように必死になるか、Xで炎上するかだよ……」と呆れ顔で言った後「職場のデスクにレインボーフラッグ置いたら本物だな」と笑った。
そんなわけで、今デスクに置くレインボーフラッグかステッカー、スーツに付けるピンズを探している。
#日常雑記
6月初頭に配達予定だったレインボーステッカーが昨日届いたので早速今日、職場のデスクの書類ホルダーに貼った。
とはいえ「これ剥がせって言われないかな……政治的主張は職場でするなってなったら面倒だな……あれこれ詮索されるのも嫌だな」と不安にならなかったと言えば嘘になる。
一瞬だけ迷って、はたと気づいた。
「ああ、当事者は24時間365日ずっとこういう気持ちなんだな」と。
ただ生きるだけで、自分にとって一番ありやすい在り方であるだけで、容赦無い言葉と「悪気は無い」視線が突き刺さる。
アライの私はステッカーを剥がせる。
剥がさなくても書類ホルダーを並べ替えて隠せる。
でも、それは当事者にとってそれは「尊厳の剥奪」(尊厳もステッカーと同じく「剥がされる」)になる。
たかがステッカー一枚、されどステッカー一枚。
迷ってしまった自分の弱さを自覚しつつ、もうすぐ届くレインボーピンズをスーツに着けるイメトレをしておく。
#日常雑記
二週間近くレインボーフラッグのピンズを付けて勤務している。
「これ何?」という質問に「LGBTQの権利擁護のシンボルです」と滑らかに答えられるまでにはいかず「多様な性のあり方を認めようって意味で……」としどろもどろに説明しているけれど。
それでも「初めて知った」「そんなのあるんだ」と言われる度に身に付ける意味はあるんだな、と力をもらう(同時に「まだそんな扱いなのか……」ともなるが)。
「デモなんかやって意味あるのか?」という冷笑に「お前が見る」と答えた人がいるのを思い出す。
「ピンズくらいで何が変わる?」
「あなたが見るね」