僕が勉強していたカトリックの中学高校、「他者のための人間であれ」というのを校訓にしているので、もしも新幹線の中で刃物振り回してるやつが誰かに襲いかかろうとしているのに遭遇したら、本当に身体張って止めに入ってしまう。
それについての僕の答えは、その彼は座席クッションは外すと防具として使えるようになっているということを知っておけばよかったとは思うけれども、彼が身体張ったこと自体には何の違和感も感じなかった。
自分の利益保護のために他者とのあいだにきっぱりを線を引くようなプロテスタント的な個人主義みたいなものを僕は美徳だとは思わないし、そう思わないことを依存症的だとも思わない。