「日系3世の両親の来日のきっかけは1989年の入管法改正だ。日系2世と3世、その配偶者が日本で働き、定住できるようになった」
「当時はバブル景気真っ只中。モノはつくればつくるほど売れたが、製造業は3K(きつい、汚い、危険)と敬遠され常に労働力が足りなかった」
「日本の文化に馴染みやすいだろうと、日系人が改正法の対象となった。ブラジルやペルーなど南米には、明治から昭和にかけて移住していった日本人の子孫がたくさん暮らしている。彼らが労働者として戻ってきたというわけだ。カウアンの両親もその中にいた。製造業がさかんな豊橋で働くことになった」
news.yahoo.co.jp/articles/33fb

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「日本で生まれたが、育ったのはブラジル人の家庭だ。身についた考えやふるまいはどうしてもブラジル流になる。日本語を話せるようになってもクラスにうまく溶け込めなかった」
「たとえば、ブラジル人は意見をストレートに話す。日本人が言えないところを言っちゃったりして『こいつ何だ』となる」
「みんながお年玉のことで騒いでいても話に混ざれない。節分が何なのかもわからない。日本語は話せても読み書きは苦手」
「親の通訳が日課。学校はもちろん、病院や役所の手続きにも付き添って通訳した。「小1とかでもう親より日本語が話せたから。自分がしっかりしなきゃという気持ちはいつもあった」

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