『COFFEE TALK』大好きなゲームだけど、「ヴィーガン」というワードの使い方には思うところがある。
ハイドは「ヴィーガン吸血鬼」を自称しているが、現実のヴィーガンとは異なり「人間の血を呑まない」という意味で、動物を殺すことには頓着した様子がない。
現実の人間が、「人間|動物|植物」という風に殺してもいい(仕方ない)ラインとして区分しているように、あの世界では「ドラキュラ|人間|動物」という風に殺さない範囲をすこし拡大することをもって「ヴィーガン」と呼ぶのなら、一応の理屈はあるのかな?とも思った。
ただ現実を思うと、ヴィーガンやヴィーガニズムは理解よりも偏見の目にさらされることが多く、語の使い方はできれば正確にしてほしいもの。
「人が捕食される側になる」という、人間による人以外の種への恐怖をあおるフィクションもあんまり好きじゃないし [参照]
「殺してもいいライン」を決めているとはいえ、ヴィーガニズムは何の根拠もなく「動物|植物」の線引きをしているのかというと、もちろん違う。
一般に、いま根拠となっているのは痛みがあるのかどうか。
犬や馬に対して「安楽死」ということばが使われることがあるように、動物に対しても「苦しませて殺す行為はより罪深い」という意識は、ヴィーガニズムに関係ないところでも共有されていることと思う。
植物が痛みを感じるのかどうか、現段階の研究では解明されていない。
でも動物(魚や虫など含む)が痛みや情動などを感じることは、すでにはっきり分かっているのだから、なにも殺さずに生きていけないなら、せめてマシな生き方を目指そうという思想だと思っている
https://x.com/omph_fyi/status/1572248013107777537?t=lgoHxt52pChsYRVh3aL07w&s=19