積極的に誰かを傷つけたいとか、差別したいと思ってするより、「めんどくさい」「考えたくない」で結果的に差別や搾取が温存される現象のほうが、日本的には深刻というか、広く見られるなと最近とみに思う。
不平等について考えるってむずかしいよな。
ひとりの個人を追い詰めるやりかたはよくないだろうけど、差別や人権侵害を指摘されたマジョリティの「傷つき」をどこまでケアすべきなのか。
マジョリティにとって耳が痛いことを聞かせないようにしたまま、差別的な構造を撤廃することってできるのか。
差別的構造は個人の責任“だけ”に帰せられるものではないけど、加担という意味では無関係ではない。社会とは個人の集まりなのだから
@cutmr こんばんは。例えば、気候正義の文脈では日本の与野党の政策や公約はどれも差別や搾取を含んでいるのが明らかなのですが、それを党の議員や候補、支持者らに伝えても議論になることはなく、拒否されます。
日本語圏というか、この社会や文化は、そういった「壁」だらけなのは確かです。
これ、わたしとしては動物からの搾取・種差別も含めた話として言っているので、悪しからず。 [参照]