「部落」の人々が経験してきた差別と、在日コリアンの人々にとってのそれが重なり合ったり、隣接したりしてきた歴史的事実は、ドキュメンタリー『私のはなし 部落のはなし』(
filmarks.com/movies/102033 )でも、ドラマ化もされたミン・ジン・リーの『パチンコ』でも描かれており、 日本の劇映画で取り扱われたことは重要だと感じる。

【中略】

一方で、この事件の背景にあり、本丸であるはずの植民地主義と朝鮮人差別を、もうすこし詳細に取り上げることができなかったのかという思いは浮かぶ。

本作では「朝鮮人なら殺していいのか?」という問いかけはされているが、あくまで朝鮮人虐殺は背景であり、日本人と日本社会を描くことが主眼という印象だった。
「飴売りの少女」とだけクレジットされていた朝鮮人の少女も、民族に関係なく人間であり、「名前はあった」はずだ。

※レビューから抜粋

本作自体はそれほどキツい映画ではないけど、自分は生まれが千葉県野田市の隣町だったので、
見てる間どことなく生々しい感覚があった。
作中にもあったとおり、野田は醤油の生産で栄えた街というのは小さい頃から知っていて、キッコーマンの工場に社会科見学で行った記憶がある。

なのに、福田村事件のことはまったく知らなかった。地域ぐるみで隠してきた出来事だったんだろう。
歴史を忘却させられたままにならないでよかった。

福田村事件、重い題材だったからじゃなくて思った以上にヘテロロマンスの尺が長くて疲れた。ロマンスパートが5億時間くらいあるかと思った

『福田村事件』脚本の1人である井上淳一氏がパンフレットで、

「『花子とアン』のような朝ドラで関東大震災が描かれても朝鮮人虐殺は描かれないようなプチ歴史修正主義に抗いたい」、本作を多少なりとも成功させて「『731部隊』や『南京大虐殺』の映画も作りたい」

と言っていて、ぜひやってほしい。商業的にすこしでも成功してほしいな。

ライムスター宇田丸の『福田村事件』評。
「いざというとき行動できないインテリ層を性的な『不能』に結びつけるのはちょっと古いマッチョな男性左翼っぽい」ほんとそれ。

隠しきれないというか、隠そうともしてない左翼おじさんっぽさが全開な作品だったと思う。監督とか脚本も全員男性だしね
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