“内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚によって成立する。自分の内的なものに自信がない彼らが社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。収入、学歴、職業、地位、才能、ブランド、優れた容姿、スリムな体型などはその代表的なものである。周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得なくなる。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られないため、プロセスはなんの意味も持たなくなる。結果主義は勝ち負けの世界を用意し、必然的に嫉妬と羨望を呼び起こす。等身大の自分を持ち合わせていない彼らは、優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係をつくることが困難になる。早期に自立を期待され、甘えを封印してきた彼らは、子ども時代を積み残したまま次の発達段階へと進んでいく。誇大的自己は自己不信の裏返しであり、これは一種の躁的防衛でもある”