映画の利吉くんと利土井
これは私の個人的な好みによる願望含めなのですが、利吉くんは基本的に「相手の大切にしてるものも大切にしたい」子だといいなと思っていて、土井先生の先生という職業や生徒たちを大事にしてることとかその思いとかも理解して尊重してくれるのが基本的な姿勢…だといいなって思ってるんですが
それを前提として
映画のあのシーンで、天鬼という存在をこのまま放っておいてはいけないということは分かっていた
あの瞬間のらんきりしんのことだけじゃなくて、もし天鬼が元に戻らないままだったら大きな脅威になることは分かっていた
そうなれば排除するのもやむなし、という判断も理解できることではあるけど
それでも利吉くんは土井先生の命を選んだ
あの瞬間のそれは計算とか可能性に賭けるとかそういうんじゃなくて、そういうの全部ふっとんで、ただただ「土井先生の命は奪わせない」「土井先生を失いたくない」っていう完全に“感情”先行だったように感じるんですよね…
売れっ子プロ忍者山田利吉ともあろう人が、なんですよ
なにを天秤にかけてもどうしても、なによりも、自分自身すら放って一番に土井先生を選んでしまうのは利吉くん自身自覚してるのか追い詰められて無自覚に出たものなのかわからないけど(どっちでもヤバい)
映画の利吉くんと利土井
これは現時点の思考なので追々変わるかもしれないんですけど………あのときの利吉くんのこと考えてると、彼はもしかしたら仮に天鬼が戻らなくても手を離せないかもしれない(1はの皆は「天鬼」と認識してなかったけど、利吉くんは頭では理解したうえでそれでも)、どうしても諦められないかもしれない なんか…土井先生のことになると利吉くんは冷静で合理的な判断を投げ売ってしまうような、危うさすらあるように思っちゃって 勝手に オタクの妄想による願望込みですけど
今でこそ大人な関係に見えて、山田利吉くん、誰よりも土井半助という存在を刷り込まれてる人かもしれない
(でも私は元来推しカプなら絶対ハピエンになるだろ!!!!!って信じる夜明け〜光のオタクなので、数日後には「これ解釈違いかも」ってなってる可能性全然ある)