ラベリングの話
私は今は人の性質とかのラベリングって単純にものごとを知るため、アクセスするための枠組みとしての必要性は感じつつ、それがその人のすべてではない ラベルを貼ったその先もひとりひとり違うから、全部をラベリングしようとしたりラベルに依存するのもちょっと危うさはあるよね~って感じに思ってるけど、「(マジョリティと思われる)他者と違う自分は何なのか」ということの答えを知るすべをもたなかった頃の私は、そのラベルに出会って「これだ!」って救われた部分があるからラベルがあることも大事だよね、とも思う
そして私は今そう思ってるけど、今の社会はまず「そのラベル自体を知らない」人がまだ多くて(私も知らないものがまだたくさんあると思う)、「そのラベルが少しずつ知られ始めている、表で目を向けられるようになり始めている」段階だと思うから、まず今はラベルを知ってもらうことそのものが第一段階だよな~…と思ったりする
勿論本来ラベルなんてなくていいんだよ、そういう人なんだね!だけでいい。だけど得体の知れないものは人はなかなか理解できないし、名前のないものは不可視化され、存在自体否定されかねない そして最終的には「そういう人もいるんだね」で「あなたはあなた」で、ラベルなんて気にしなくていい社会になるといいな~…と思ってる