2024年ももうすぐ終わろうとしていますが。
今年は本当に日本の音楽が世界に拡がる流れが確実になった年だと思ったので、1年を振り返って出来事を整理してみました。
つい数年前には正直、こんなに日本語の歌が海外で聞かれることになるとは夢にも思っていなかったのですが。
これだけ証拠が積み重なってくると、日本語の歌の可能性を否定する方が難しいんじゃ無いかなと思ったりしています。
来年も日本のアーティストの活躍をウォッチさせていただくのが本当に楽しみです。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/dc570586c0276dee6705d54b482c8f3049d1c92e
これは面白いね。
「世界はニポンの音楽に注目してる」については、ニポンにだけ寄りすぎた視点にも思えるけど、ニポンの音楽「にも」注目というか、等しく垣根はとっくに外れてるんだと思う。
韓国はじめ、タイやら何やらはだいぶ前から海外マーケットを意識して戦略的に or 極端な囲い込みもせずにローカル言語のまま配信して普通に世界(とは、だけどw)からハードルゼロでリーチも出来てたから気付いたら垣根なんてとっくに外れてて、言語バリアアレルギーもどんどんワカモノの間では薄れてて。
ニポンの音楽ギョーカイが既に垣根が外れてるのに気づいてたのか気づいてなかったのかは定かじゃないけど、気づいててもドメな権利保護意識の強さとか、自分たちの側に強くある言語バリアとか、そういうのが邪魔で、外の垣根より中の垣根を越えられないままきた(きてる)んじゃないかねぇ。
繰り返すと、ニポンに注目、なわけではなく、既にニポンのアーティストにも等しく競争できる機会は与えられてる…ということだと思う。
ニポンは文化的言語的垣根崩しの先人にはなれなかった。
ピンポイントにニポンの音楽、こと昭和歌謡の詩の暗くて深い感じに前から興味を持ってた異国の友達は、興味持っててもなかなかリーチできてないうちに関心薄れてたしな。
#マストドン音楽好き部
QT: https://www.threads.net/@tokuriki/post/DEMZgJ5vMoD [参照]
あと、音楽に限らず、クールジャパンとか見てても、「世界に見せたい(現代)ニポン」みたいな色気出し始めると頓珍漢な方向になりがちな気がするな。
まぁ、これはニポンに限った話ではないけど。
見たい側の真のニーズや萌えポイントとかを見誤って「これを見せたい、これを見ろ」っていう自分の側の意識が強くなると、ただの押し付けになっちゃって、せっかく自然発生的に評価されてきたものの提供から程遠くなりがちな気がする。