伊皿子りり子|編集Lily on X: "素晴らしい論考。文章を自分が読みたいようにしか読めない人ってほんと多いというのはSNSでは特に感じることで、その違和感について。 読めるようにしたので、ぜひ(8月28日 6:31まで) 言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html?ptoken=01J689ME62SGPZQ8D95R3V46KZ" / Twitter
うわ〜〜〜っ、多分これなんだわ、おれがずっと(思想的には近いはずなの)政治系クラスタにどんだけ共感しても距離取っちゃいがちだったり言い方や手法に文句ばっかり言っちゃいがちな大きな違和感の理由。
賢い人はきちんと言語化出来てすごいなあ…。
期間限定🎁記事らしいから、真面目な正義感の強い人にこそ読んでほしいけど、多分違和感覚えない人たちには読んでもなお(今はまだ)解らんのかも、って思う。
"個人を重視するはずのリベラル層もじつは、「正義」に依存するために個人であることを捨てている。「正義」依存の人同士で、自分たちが断罪されることのないコミュニティーを作り、排外主義的な暴力によって負った傷を癒やしている。私が自分の発言に無意識に制限をかけていたのは、その居場所を失って孤立することを恐れたのだろう。"
QT: https://fedibird.com/@browneyes/113032932098420918 [参照]
この正義依存性と無謬性が加速度着いてくなかで出来る個であって個でなくなってく傾向って、SNSで顕著にはなってるけど、実はインタネットなんか出来るはるか前からあるんだよな。気づきにくいけど。
てか、赤軍の山岳ベース事件とかだって延長線上だし同質だと思ってる。人は自分が正しいと思ってさえいたら、大間違いにだって走ってけるんだよね。
うちは親が昔からゴリゴリの左向きだったが故に、おれ自身がそういうものに物心ついたころから曝露されてたが故に人一倍敏感なのかもしれんけど。
思想そのものには反発はなかったので、おれ自身も、意識的にバランス取ろうとしてても左の方向いてしまってはいるけど、それでも、幼い自分が唯一頼れる「親」とその「仲間たち」の言動や行為の中からでさえ違和感をちゃんと違和感と捉えられるだけのセンスだけは失わなくてよかったと思ってる。