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また愛情の話 

私の愛情の所在の証明は何よりも優先することだと最近確信したんだけど、それとセットになってるのが『ブレーキをかけること』で、それっていうのは、私が持ちうる愛情を注ぐ先の対象はおそらくその状態を受け入れ難いだろうなという想定からくる保険のようなもので、かなり肯定的かつ端的に言えば理性なんだけど、『私は大好きだけどきっと相手はそうじゃないな』という確信と保身からきてるんだよな。
一例を挙げるなら、SNSでフォローしてるだけの他人でも生活の一端を見続けていれば好意の対象になることがあるんだけど、私に限って言えばその好意の対象はかなり広く、好意という言葉以外に表現のしようがないのだけど、人が変われば好意という言葉の持つ意味の質量がかなり変わるから、好意があるということを口にすることもはばかられる。
Twitterで言うならリプライを全然しないのもこういうところで(相手に返信を強いる?ような気になるのが…(されるのは全く気にならない))、でも話はしてみたいからもくりはしたりしてたんだけど、サービスが終わるらしく…ブレーキを踏み続ける人生…

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