炭酸の影響で『ぼっちざろっく』少し見た。ボーカルと衝突させないためにボーカルが「歌う機械」になるように話を構成してるの怖ええ。いずれ摩擦は生じると思うけど。あと学園生活が目的じゃない主人公なんだから、学園祭じゃなくてライブが最後になってほしかったな。学園祭で来月ライブしますーってチケット売ってさ、前回より少し増えただけで、やっぱり甘くないか~とか言いながら、さっさと中退して~ってイカすライブをする感じの。まぁ色々言うのは全部見てからか。

一つだけ超キモいのがあって、父親の目を描かないこと。これキャラに人格はないというサイン。恋愛ゲームとかで主人公の"あなた"に目を描かない(デフォルトの名前も無い)のと同じ。
「ぼっちの父親として作品世界に感情移入してください」
っていうバカそのそもの補助線を用意する構成構造と発想がマジでキモい。もしかしてそこまでしてもらわないと想定する視聴者はアニメ見れないのか? 100歩譲ってなぜ主人公のぼっちじゃねえんだ。それはギターでメシを食うのはリスクがあるし、それ以前に地味で過酷な努力しなくちゃいけないから。
勝手に子供の動画に広告つけとくの悪質。良かれと思って人の作品に同意を取らずに手を加える人間は自他境界が曖昧。プロ野球や甲子園の夢を果たせず子供に押し付ける親みたい。
結局、目を描いていなくて父親ポジを作中に用意しても、内心はギターヒーローになりたくてたまらずに、ぼっちに対する侵襲を起こす。ノーリスクでタダ乗りしたいスケベ心が丸出し。
高校中退してギターで飯食いたいって思ってるキャラに感情移入して中退や退職しろとは言わんけど、スパチャとかガチャ3ヶ月分のギター買っちまうくらいしろよ。たまには消費以外の行動で、自分の人生を真っ当に狂わせてみろ。
まともな親を描ける奴はいないのか。映像研も親描写ダメだったしな

ぼっちが作詞なのも目ん玉飛び出るほどビビった。ボーカルを歌う機械以上の存在にしたくないという制作の明確な意思がある。「合わせるのは得意」ってやつ。このバンドの解散は既定路線で、あとは時間の問題。言葉ではなくギターが1番の自己表現だってキャラに作詞させる理由なんてそのくらいでしょ。ギターとボーカルの間にこれでもかって勾配を設けて力関係を明示しててグロい。あのボーカルは物語の都合上、キャラクターではなく装置。これに自我の芽生えた時がバンドの終わり。

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まだ8話と最終話しか見てません。さーせん。

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