花散日菜 さんがブースト

やーしかし、アクセス遮断ってことについてマジであんま関心が広がっていかないのであれば、それはなんかこう、ヤバいな~とはやっぱ正直思っちゃうなー

花散日菜 さんがブースト

グレートウォールに塞がれても別にいいよ~ってことだもんねえ事実上。まあ自分がそこについてあらゆる水位でちゃんと意識的になれてるかって言ったら、もちろん心もとない部分がめっちゃあるんだけど。しかしTwitterじゃない?結構意識的にそれを使っている日本語圏ユーザーって大量にいるわけじゃん。これでええの?とはやっぱ思っちゃうねえ

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割と地味に衝撃を受けております。まあたしかに日本は「イーロン・マスクのツイッター」にとって、とりあえず重要な商圏ではあるわな。

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凍結したり戻したり、のらくらしながら自分のマウントを維持するつもりではないかと。まあそんなガキ戦法が通用する相手ばかりではないけどね。

国連とEU、マスク氏に警告 ツイッターの記者アカ凍結で 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

afpbb.com/articles/-/3443738

マストドンの長文が投稿できるという利点をいかし、長文投稿してみました。
TwitterサークルとInstagram親しい友達限定で投稿した内容です。
いろいろ頭を整理するために書きました。
自分の価値観が明確になって、書いて良かったです。
少なくない人たちにいいねしてもらい、救われました。見てくださった方々、いいねしてくださった方々にお礼を申しあげます。ありがとうございます。

単純に昔が良かったとは思わない。多様性に気づき、光が当たるようになった、今の方が良いこともたっくさんある。

ただ、人間関係に「失敗が許されない」傾向がドンドン強くなっているな、と感じる。

普段ぶつかり合わず、思いやりをもってお互い接しているが、追い込まれた時に決定的に鋭い言葉になってしまう。

決定的に尊厳を傷つけたり、人格否定したりする言葉が、急に飛び出してしまう。その綱渡り感はあるなぁと思う。
そうして失敗すると、修復不可能になってしまう。

昔が良かったという年寄りにはなりたくないが、私の若い頃の方が、ぶつかり合った時の傷は浅かったような気がしている。

私と親の世代の間くらいの世代の青春群像劇に、「ふぞろいの林檎たち」ってドラマがあった。

私の世代からするとかなり乱暴なぶつかり合いをしてて、カルチャーショックだったし、ジェネレーションギャップを感じた。言っちゃいけないことも言い合ったり。観てるとなんだか心がざわざわした。

父に「こういうぶつかり合う人間関係を日菜の世代は構築しないから日菜はざわざわするんじゃないか」って言われ、そうかもと思った。

それでも、大学時代の和太鼓サークルの仲間とはけっこうふぞろいの林檎たちみたいにぶつかり合った。言っちゃいけないことも言ったと思う。私にも反省すべき点は多い。

だが、そうした経緯があるからこそ、今もお互いを思いやれる友情が形成されたのも事実だ。大人になってからの友人もいるが、大学時代の仲間のような関係とはやはり違うと感じる。

親の世代よりも、ふぞろいの林檎たちの世代より、私の世代より、今の時代はどんどん、人間関係が繊細になってきたと思う。

私はあまり人に期待してないのかもしれない。人も好きだし、人付き合いは好きだけど。

人にたくさん期待すると、裏切られたと感じた時辛いだろうな。

この文章は、人に期待をしないことを強要するものではありません。

もちろん、人に期待をする自由もありますね。

許せないという感情や怒りの感情って、その人の大事にしてる価値観からくるものだから、大切にすると良いと思う。人の尊厳に関わるからね。

私はあまり怒らないタイプで割と簡単に許しちゃうタイプなのかなとは思うけど…

怒りが生じた時に、その怒りが自分の問題なのか、人の問題なのかの切り分けは大事かなと私は思う。

私は「主語が大きい」という言い回しは好きではなくて、なるべく使いたくないが、主語が大きく、「私」という一人称以外の主語になってはいないか。私は点検したい。

主語を一人称にするということは、自分の発言に責任を持つという点からも、必要以上に怒りを増幅させないという点からも、重要だと私は考える。(ただし、自分の尊厳を侵された際の正当な怒りは大切にすべき。)

日本語は主語なくても文章書けるから、特に気をつけないと自他の境界線や発言の責任の所在が曖昧になってしまうなぁ。

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