「かぞくは自我の延長」というかぞく観が男せちしき人のあいだでは自明のことと見なされていたのね。

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それが家庭ないぼ力の加害と被害のかんけいを無視できる知てき足ばだった。かぞくの成員を個べつの主体としてみとめなければ、にんげんかんけいなどありえないから。

しかしトークのもっとまえでは、ゲストの信田さよ子しは心理カウンセリングの経験をとおして1970年代からアルコール依存者の家庭には暴力が横行していることをよく知っていたとも言ってたな。そしてそれにもかかわらず加害しゃはもちろん被害しゃもそれをみとめようとしなかったとゆ。どやら被害しゃは加害しゃが暴力をふるったり、酒におぼれたりするのを、じぶんがいたらないからだととらえていたらしし。
つまり現場のひとたちにとっても家族は一体でわかちがたいものだったんだ。とゆことなら、ちしき人はただみんなが自動てきにそうふるまっていた家族のありかたを正直にことばにしただけだったのか。

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