(抜粋)琉球弧社会での共通語をどうするかはさておき、日常生活言語として、日本語に替わり各シマクトゥバの復活は可能ではないか、と私は時々思う。しかし、その際ぶつかるのは、「シマクトゥバでは近代的な概念を表現できないから、時代にそぐわず無理だ」というような声である。
ドゥベさんに聞きたかったのは、そのような考えをどう思うか、である。なぜなら彼は、まさに、インドにおいて、植民地時代以来現在のグローバリゼーション下でも支配言語たる英語を母語であるヒンディ語に置き換える作業に取り組んできた方だからだ。そこでドゥベさんに、「英語−ヒンディ語翻訳について聞きたいのだけれど‥」と私が切り出すと、すぐに強い口調で返された。
「そういうことは可能か、という質問?かつては、それによってレベルが下がると考えられていたが、現在では、状況は完全に変わっているんだ」
この反応は、逆に、このような考えが相当根強く、氏がそれといかにたたかい、実績を積んできたか、を示しているように感じた。ドゥベさんは続ける。
「社会科学のテキストをヒンディ語へ翻訳することは、原作よりよくなるという結果を生んでいる。原作者たちが僕に言う。ヒンディ語がパワフルな言語であることが証明された。(続く)
「本当に大抵の概念は適合する翻訳語が見つかるものなのか」
「いかなる概念をも翻訳できる。僕は自信をもってそういえる」
私は同じ質問を繰り返す。なぜなら、ずっとそういわれてきたからだ。
「琉球諸語では近代の、特に西洋の概念を表せない。例えば、デモクラシー、ヒューマンライツ、フリーダム‥」
彼が再び私をさえぎり大きな声でいう。
「すべての言語だ。少数民族の言語でもだ。もしその言語にその概念がないとしたら、外来語をそのまま使えばいいじゃないか。何の問題があるんだ。例えば、沖縄語にデモクラシーの対応語がないとしたら、デモクラシーとそのまま使えばいい。英語だって多くの言葉を他の言語からもらっている。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、パルティア語。例えば、ジャングルという言葉はパルティア語から来たものだ」
私はにやっとした。
「たぶん、ヒンディ語からもね」
「もちろんそうだ。対応後がないのなら英語から直接とればいい。なんの躊躇もいらない」
(知念ウシ 「ウシがゆく」 沖縄タイムス社
第2章 植民地沖縄を考える2006 P95-98 より)