米を煮て、それをよそって食べていたなら、あつあつのめしを素手で食べるわけにはいかないはずだが、スプーン的なものも使っていたのかなあ

縄文時代のスプーン状土器は出土例がある。コメに先行して粟や稗を粥にして食うときに使ったものならん。土器は食感が悪いから,おそらく実際は木器が主流だったのだろうが,それは残存していない。

ちなみに弥生時代になるとフォークも出現する。シャモジもオタマも既に存在する。いま思いつくようなカトラリはおおかた出現していて,後になって衰微し,今のように手持ち食器と二本箸になったというわけである。

ヨーロッパだとたしかけっこう遅かったですよね、フォーク

いや,欧州文明圏でも青銅器文明の時代から古代ローマにかけて存在はしてるんだけど,のち衰微した状態で推移して,近世になって繁用されるようになっただけでね。中世まではインドと同じように手食文化の傾向が強かったんだろうね。

まあ手掴みで食うからと言うて野蛮ってことはないよな。単に習慣の問題で。

茹でたてのスパゲッティを手で食べるのは難しいよねえ、熱いし

手食文化圏というのは今もかなり世界中に分布してるが,中世ヨーロッパ・カトリック世界も,どうやらその圏内にあったみたいなんだな。これは宗教観も影響していて「食事は神の下されたありがたいものだから,手で丁寧に食うのが高尚である。あたかも汚物の如く道具を使って食うのは不敬である」というような観念の産物らしい。ヒンズー・イスラーム文化圏と似ている。

ナイフとフォークがへたくそな神官が考えたへりくつに違いないw

パンだけは今も手で食うね。パンとは神の肉たる聖餐なので,そういう信仰の名残なんだろう。

日本もおにぎり、もち、すしなど、お米は手で食べるのに抵抗ないですよね。うどん・ラーメンを素手で食うのは有り得ないと思えるにも関わらず

それは遙か古代の箸以前の手食文化の名残か,それとも大した意味はないのか,わしにもわからんなあ。

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ただ,弥生時代後期の握り飯(或いはチマキ)には出土例があり,それは手掴みで食ってただろうことは想像できる。

弥生時代の米食は、煮込んで重湯か粥にしてたと思うので、飲み物に近かったかもしれないと思ったり。

主流はそうだろうね。ヒエやアワを混ぜると崩れやすくて握り飯には向かないし,弥生時代には,まだ米100%にできるほどコメとれてないだろうからね。出土例の握り飯も,例外的な携行食か祭祀儀礼食なのだろう。

科博ですかー。ひさびさに行きたいなあ

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