作業しながら聴いてたのでまとめの内容全然把握できてませんでした
おぼろげな記憶と合わせると、多分描写のショッキングさによって意図せず強調されてるのは"文脈"よりもエピソードの"印象"ではないかあというのと(印象が強まることで他の描写と紐づけて考える際に最初に浮かびやすくなる感じ)、ついったでも一回触れた記憶があるんだけど「出来損ない扱いと虐待の事実→自己肯定感が低い」の思考には納得できても、そこから「自己肯定感が低い→自己犠牲する」は全然繋がって無くない!????って思うんですよね。
そもそも「自己肯定感が低い」と「自分の価値が軽い」も近いけど同じではないと思うので、そこを同列で扱う感覚の擦り合わせと、どの場面からそれぞれの要素を拾えるのか確認から始めたいとか思いました。
「(1)自己肯定感が低く(2)自分の価値を軽く考えているので(3)自己犠牲する」
(1)(2)(3)はそれぞれ独立した要素でそこを繋げるためにはそれぞれに裏付けとなる描写が必要に思えるんですけどこれは私の認識がずれているのか??
あと虐待された・自分の価値が軽いから優しいは謎理論すぎる。(傷付いた人が誰しも他人に優しくなれるは性善説すぎて理想論だよ!!!!!となる) [参照]
この前トゥートしたやつなんでこんなに違和感あるのか気付いた。
「自己肯定感が低い」から繋がる思考としては「自分に自信がない」って言葉選びのほうが自然に感じるからだわ。
「自分の価値が低い」は自己肯定感の低さのほうではなく「自己犠牲する」という結果から得た主観の印象を「自己肯定感が低い」に結びつけるための思考の流れで生じる言い回しだなって。
"(1)自己肯定感が低い"から"(2)自分に自信がなく"、それによって"(3)自分の価値を低く感じている"ので"(4)他者貢献に自身の存在意義を見出している"。そのためいつも他者を優先し"(5)自己犠牲する"
なら納得できる。
適当な言葉を挟んだけど(3)と(5)の間にも本来は(4)みたいな行動基準となる思考が存在している(でないと(3)の要素がどう発露するかの方向性が定まらない)し、でもサから(2)や(4)のような要素が拾えないから『(1)を理由に(5)をする』と繋がらないんよな。
これはまだ『(5)をするのは(1)が要因では?』という段階であって、掘り下げが足りてないって思ってしまう。
それでもし(2)や(4)の要素を拾えないなら別の仮説を立てるべきよな。 [参照]