テクスト論でも

>書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場

とあったので、別になんでも自分好みに受け取って良いという読み方ではないよな。
読書自体は本人が気にしなければ本来の内容と違う受け取り方をするのは自由だけど、「好きに受け取る」と「内容を曲解する」は別物なのでそこの区別は必要。

フォロー

曲解を絶対悪とは思わんけど誰かとその作品について話そうとしても噛み合わなくはなるよね。
「単語や文章を別の意味で覚えてしまった」ような状態なので会話にならない。
それでも本人の中では意味が通っていて文章体験もあるし、その体感した部分を否定するのは違うかなって。でも内容は読み違えてるからそこは指摘されても仕方ない。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。