自分の意見が
当然の権利なら
人のもそうです
自分に反する意見は、全てがヘイトだと難じるなら
貴方の意見も聞かれない
当たり前のことではないでしょうか
それでは
ものごとも交渉も
世界も前には進まない。
無能の責任を人に押し付けるなということです。
貴方方のその
やった感、やっている感が
橋を燃やす。
理想というものは、いきなりくるものでも
出来るものでもない
それは、おおかれすくなかれ
全ての人が我慢する匍匐前進です
そこを飛ばしてゆこうとすれば
結構のところ
収容所かガス室かということになってしまう
恥すべきという言葉で
「恥すべき」
その言葉をもう一度考えてみるべきではないでしょうか。
それは、「恥さらし」とは、また少し違う。
恥さらしは、まだ相手は、一対一で立てれるが
「恥すべき」は、圧倒的に自分達が上で正しい
恥すべきは
家に逆らうこと、王に逆らうこと
勿論そこで使われてきたし
今でも、その残滓は残っている
だから、使う人間は
「恥すべきごとではないでしょうか」と
判断権限はあなたにあることを保証して
それでも訴える
それもなしで、他人を断定する者は
結構、自分の嗜好だけで
他人に対してのヘイトと
なんら
やっていることは変わりがない
大袈裟と言われるかも知れないが
言葉を使っておこなう人間が
その言葉の効果
相手への
それを聞かされた周りへの
効果を知らない訳がない
それは相手を収容所に送り込む時の言葉です
同じ国民
同じ人間としてではなく
私が怒った理由です。
一刀両断は
賢くスマートに見えるかもしれませんが
その実
なんなのか
なにを仕掛けているのか
私達は、口には出さずとも
心得ていたいと思うのです。