とても面白い記事でした(^^
『崩壊する日本の公教育』より #2
文春オンライン
「どんな複雑な問題にも決まって短く、単純で、間違った答えがある」
枠が、あるからです。
この記事の言われるように。
あらゆる複雑な太古からある見えない・世界の不可思議なこと・(己の利益に不都合なこと)を「切り離し」・「ないことにして」「議論を進めろ」という
「前提の中で考える・考えさせられる」から
「短く、単純で、間違った答え」が出てくる。
まあ、これは
「枠」を「ここの中で考えろ」と言ってきた人間にとっては
「そこに導きたかった」「おう!やっと、利用できる考えに来たか」
で、別に間違った答えでは
「全然ない」わけで。
まあ。そりゃまあ、そうなんですが。
教育ってね、結局、そこにある「枠」に勘づく気付くことでもあるもしれないとは思う。
言葉には出来ないかもしれない。そもそも(自分には)見えないことだし。
でも、気付く。そこからは、まあ、その人の人生だよね。
「枠」の困るところはね。
なんでもそうなのですが、「過剰適応した人達が現れる」ということなんです。
そういう人達が、枠をもって他人を殴り始める。
まあ、枠を作った人達よりも儲かりはしないだろうけれど。
https://bunshun.jp/articles/-/75036