体温上がっても汗が出ず、アセチルコリンのアレルギー反応でかゆくなる!と戦いはじめて2年目だけど、汗かく工夫をネットで調べようとしても本当に出てこない……「汗をかかないようにする」とか「汗を隠す」とかの情報しか出てこなくて こゆとこがネット検索の限界……みたいな気持ち……
一時期こんな感じのネット記事のライティング業務したことあるんだけど、たいていの案件が「自社のコンテンツが増える→アクセスが伸びる」って点が主眼で 内容は結構どうでもいいって感じで……だから調査や取材なんかできないレベルの報酬で、ライター側もネット検索で得られやすい情報をまとめる作業を延々と繰り返すことになっちゃう こうしてネットで得られる情報のバリエーションは失われていくんだなって思って……
それはそれとして汗をかきやすくするための情報は
半月くらい悩んでたテキストを1時間で書き上げたときの、、すごい 虚無 な感じ何なんだろ!?
あと崑崙山ってユグドラシル的な…「宇宙樹」ならぬ「宇宙山」みたいな感じなんやね~~知らんかった 蓬莱が桃源郷的な場所であるのとは全然違った…
「一万一千里の高さがあり、上に登ったものは不死になる」とか「山の周囲を弱水が取り巻き、選ばれた者のみが越えられる」とかあたりは凌雲山はここから来てるんだな~~な感じ
沢山いるほどいい!の理由というか裏付けみたいなのはさっぱりわからなかったが、ネットで調べられる程度の情報だと 「月の呪力を借りて」みたいな文言にはむしろ西洋的な世界観を感じるかも…満月と狼男やサバト、月神ディアーナと魔術神ヘカテーが結びついて語られるような…(この流れで中世ヨーロッパの百鬼夜行的な「ディアーナの騎行」とか初めて知ったんですけど超かっこいいですね…)
嫦娥、月読とかはびっくりするほど目立った逸話がない しかしなんせ月なので、もっとちゃんと辿れば絶対何かありそうだけど…、
わからないんだけど、、そもそも「月の力を借りる」と云うならば恐らく呉剛の門を開くことができるのは夜のみで、これは妖魔の時間といってもいいわけで…生気・死気という時間の区別によって「この時間は妖魔に有利」という理屈もあることだし
「蝕」という現象はそもそも「天の摂理の外」とされている…ので、「蝕に起こす」という試み自体もともと天の摂理という網の目に逆らう行為なのだよな…という2点を考え合わせると、「できうる限り妖魔の力を借りることで安全に網の目を広げる」みたいな形なのかもしれない…
しかしディアーナの騎行はかっこいいですね 夜に獣の背に乗った女たちがディアーナに率いられて飛行するんだって 超かっこいい
黄昏~でそういえばずっと微妙にわかってないのが、「蝕を起こすに際してなるべく多くの妖魔(使令)を集める」という話なんだけど…雰囲気的に「たくさんいればいるほど災異も穏やかにすむかもしれない」って感じはしてるんだけど…何でなのだろう…
実は「只人は渡れない、神仙は渡る方法がある」しかし「王を渡すと災禍が大きくなる」というのも、ちょっと直感的にはピンと来なくて、今も「理屈はさておき、そういうもんなので」みたいな飲み込み方をしてるんだけど…
呉剛環蛇と同じように、二形を持つというところが重要なのか…?とも思ったけど、でも仙も渡れるんだよな…渡れる渡れないと蝕による被害には別の理屈があるとすると、世界の条理への関わりの大きさ(?)みたいなことなのか…?舟板一枚はがしても頑張れるけど竜骨はマジでやめて的な…逆に妖魔は条理に関わらないので逆にわりと自由移動できる的な…、でも沢山いればいるほどいい理由はわからないが、いや、沢山いるのはかっこいいので、沢山いてほしいのだが…
十二国記何度目かの再読メモ
・十二国記世界のお菓子が気になる(あんまり出てこないので)特に宮廷とかのお菓子…なぜなら今から黄昏を読みながら豆大福を食べるから
・延の先王が亡くなってから尚隆が登極するまでってもしかして40年くらい経ってる…?青条の標仲が生まれた頃に先王が登遐、少学を出て国官になるまでの経年はわからないけど 山毛欅の奇病を発見してから作中の旅まで「10年以上」が過ぎてて…
海神を確認したら、前の宰輔は「王を探し出すことのできないまま三十余年の天寿つきて」とあるのだがこの「三十余年」は素直に王を失ってからの年数と捉えてよいのだろうか そうすると六太が尚隆に玉座を渡すまで約13年なので、もしかすると50年近くも空位が続いたことに…
ねむれないのだ