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笑いと忘却の書とアレクサンドリア 

チェコが共産党に支配された日、指導者が宮殿のバルコニーに立って演説した。雪が降っていた。同志たちの一人が、無帽だった指導者に帽子を貸した。この日の写真は何千枚も焼き増しされて市じゅうに配られ、教科書に載った。時が流れて、帽子を貸した同志が反逆罪で告発される。彼はあらゆる写真から消された。歴史からも抹消された。けれど残っている。あの日の写真に、彼の帽子が。

笑いと忘却の書とアレクサンドリア 

「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘いに他ならない」アレクサンドリアの民衆はおとなしい羊のように権力に飼いならされている。快適な暮らし、死の不安から解放された生活。自らの死とともに、永遠の忘却を当然の事象として受け入れる。もはやその鼻薬なしでは生きていけない、という。だから明らかに政府がおかしな動きをし始めても、反乱することがない。忘れてしまうから。

笑いと忘却の書とアレクサンドリア 

もし、彼らがついにゾラージャ王のことすら忘れてしまうとすれば「帽子」こそグルージャかもしれない。帽子。消し去れない、過去の事実の証明。そこに彼はいた、とたった一つ証明しうる。

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