もう一回子どものための哲学対話を読み込んでネタにしたい。いま認知する現実とは別に肉体を持っているとして、その肉体を自己と認識することはできるか、みたいな話が載っていたので。それは他人じゃないのか、という問いを、公とラハがどうやって超えたのか、考えたら楽しそうな気がする。
「24歳の、クリスタルタワーを封印して眠ったグ・ラハ・ティア」と「水晶公の記憶を継いだグ・ラハ・ティア」をイコールで結ぼうとするなら、前者を目覚めさせる可能性は一切なかったということなのかな、とフレンドに聞いたことがある。水晶公の記憶を継がなかったグ・ラハ・ティアの可能性は棄却されたわけで、そこにはやっぱり、ひとつ死が、あるいは永遠の喪失があると思う、と主張している。ずっと。
アモンとファダニエル(ヘルメス)の乖離があったように、たとえ魂が同じでも、ひとたび違う道をたどってしまえば別の人になる。ラハは別の道をたどる前の肉体が残されていたから、そこに魂を容れれば何も失われない。理屈としてはそう。でも本当にそうかな。そこにすでに二つある肉体のうち、水晶公が失われたからそうなっただけで、原初世界のグ・ラハ・ティアが死んでいたら何も起きなかった。ならやっぱり、そこにあった可能性は「2人」じゃない?
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アモンとファダニエル(ヘルメス)の乖離があったように、たとえ魂が同じでも、ひとたび違う道をたどってしまえば別の人になる。ラハは別の道をたどる前の肉体が残されていたから、そこに魂を容れれば何も失われない。理屈としてはそう。でも本当にそうかな。そこにすでに二つある肉体のうち、水晶公が失われたからそうなっただけで、原初世界のグ・ラハ・ティアが死んでいたら何も起きなかった。ならやっぱり、そこにあった可能性は「2人」じゃない?