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都市の機構はデモからマッチングアプリに至るまで身体の匿名性を前提にしているけど、「見て」障がい者だとわかる障がい者は、そのような都市機構の前提となる身体の匿名性を持ち得ない。だから常に、身体の匿名性を前提にした場に赴くと戸惑ってしまうし、居場所がない。でもこの障害は、単に主催者や運営の努力や工夫でなくせるような類の障害ではない。おそらくこのような体験は障害の社会モデルにディスアビリティでは説明しえず、そこで切り捨てられるインペアメントに近いものだ。それは障がいであり差別ではあるけど、その障がいや差別は極めて大きな社会機構の中にあって、個人や組織には解消できない。たとえば反差別を謳うスペースに車椅子ユーザーがアクセスできないのは、そのスペースの責任とは言えないだろう。むしろそのスペースが経済的に周縁に追いやられていることの証左でもあり、そのスペースもまた差別されているのだろう。ただ、問われるのは運動や人生の中でこのような解消しえないインペアメント的なものの解消しえなさにどう耐えてどう抵抗を続けるか、ということだと思う。私は日々それを実感するけれど、もっとこういうことを考えたい。

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