差別と世界のパワーバランスとつくたべ批判の話
差別系の話って特に世界におけるパワーバランスの問題だと思っている。
つくたべ、作品として色々おかしいと言われている点などもあり、私もそこは結構同意する点がある(友達の家の冷蔵庫の中の残りで飯作る回とか)ので個人的には特に好きな作品ではない。
んだけど、結局様々なマイノリティを取り上げ、「差別に反対している」と公的に主張してくれる作品というものがまず世間には少なすぎるので、確実にあの作品に救われている人が多くいると思うんだよね。
という中で作品の粗や諸々のおかしさを指摘して批判しまくるっていうのは、単なる作品への批判だけでなく、差別を反対するスタンス自体を縮小させる方向の力になっているよなあと思う。
個人的に好きな作品ではないし、批判の内容自体には同意の点もあるのだが、総合的に差別に反対することそのものを腐し、力を削ぐことにシンプルに憤りを感じるし、すごく嫌だなあと思う。
所感
そうやって差別に反対する総体的な力を削いで、その分ないしそれ以上その力が増すような動きをしているのかよ。絶対してないじゃん。ムカつくなあ 邪魔するだけで