反差別の実践をしている人が、マジョリティ属性を持っているが故に罪悪感を感じる必要は全くないです。
特権性を持つことの意識をすることは必要ですが、マジョリティであることもマイノリティであることと同じく「自分で選べない属性」なので。
しかし、抑圧者側になったり、それらに加担したり、差別をしたりするマジョリティは批判されて然るべきですし、それはマイノリティも同じです。
そして反差別の実践はマジョリティ側の努力義務だと私は思っています。ただ、マジョリティでも病気があったりと様々な事情があってなかなか活動的になれない人もいます。そうした面では誰も責められません。
繰り返すようですが、特権性を意識しながら、マイノリティを抑圧する側に消極的であれ立つことは差別への下端で恥ずかしく思ってもらいたいことですが……