チャイルドマレスターとペドフィリアについての私見2
私は漫画批評を志しているので、表現の自由の自由についても言及するのだけど、私は小児
性愛コンテンツを肯定します。それが深くゾーニングされる限り。
ただし個人的には「見たくもない」というのは正直なところです。これは私の個人的な経験等から出る生理的な反応です。
これは私が好む暴力的な表現を「自分は戦地で地獄を見た、暴力消費表現を心から軽蔑する」と言われることと同等だと思います。その点について言い訳するつもりはないです。私の好むものは倫理に反していて誰かを傷つけます。
小児性愛表現に私が感じていることもまた同様です。
しかし憲法・・・表現の自由は個人の好き嫌いと関係なくすべての人に適用されます。「嫌い合いながら共存」しなければなりません。
なので私は、まったく受け入れられないけど小児性愛表現を肯定します。それが癒しや発散になることを望んでいます。
なお、現実の公共の場や、インターネット上でも公に見られる場での小児性愛表現は現実的な露出による威嚇や支配、いやがらせだと認識しているので強く拒否、否定、批判します。
チャイルドマレスターとペドフィリアについての私見3
ちなみにここからは余談ですが、
「変えられない性的指向(ほか変更の効かない属性等)とコンテンツの趣味趣向を同等に扱うのは性的指向の社会的障害を矮小化する」ということはよく言われるんですよ。
例としては「オタクはやめられるんだからやめたらいい」です。
他人の趣味趣向に口を出してやめさせることが許される社会は、「社会主義などの好ましくない書物は読んではならない」等の表現弾圧に容易に接続します。
また文化にランク付けすることで起こっていることが、現在の市場原理的なアートの価値づけ・・・言うなれば「儲かってるアートは許すが儲かってないアートなんか滅びろ」ということだと思います。政治家からしたらオタク文化の方がよほど価値が高いってことになっちゃってるんですよ。儲かるから。私はそれを否定します。アートは全て繫栄するべきです。
「好きになったもの」を辞めさせることはできません。個人の嗜好への介入を断固拒否します。
ただし、当然ながらその好ましくない表現を公に晒すことはしません。これは前のトゥートにも書いたとおりです。