チャイルドマレスターとペドフィリアについての私見
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf9mZWSgZQic8YzZNASuxb05aHQz7pYpX8XeDQEXCXBE0lZIQ/viewform
署名しました。
少し意見も。
まず2点。
・「個人の幸福の追求」は、公共の福祉に反しない限りとして憲法で保障されている。そのため「小児性愛を持ちつつ加害せず生活すること」は憲法において保障される。
・性的同意を取れない小児を対象とする性愛に、個人が強い嫌悪感を持つことを否定することはできない。
理屈は分かっても受け入れ難いことは当然あり得て、その感情が強い人は「その欲求を持つ人もいなくなってほしい」と言ってしまうことはあり得る。それは憲法上「正しく」ない。でも止められようもない、と思う。特に被害に遭った人はどうしようもない。
「実際にこどもに加害した人間」は残念ながら世界中におぞましい量存在し、その被害者もまた多数に及ぶ。個人のフラッシュバックや生理的嫌悪を止めることはできない。
生得的に幼児性愛指向を持つ人の社会的な居心地を考えると、極めて辛い立場にあると想像されます。それは彼彼女のせいではないし、憲法違反である状況です。
しかし同時に感情的に受け入れ難いと感じる人とのジレンマが発生してしまう。これは性加害者のせいなのだけど、極めて弱いこどもが対象がゆえに起こる摩擦だと思う。
チャイルドマレスターとペドフィリアについての私見3
ちなみにここからは余談ですが、
「変えられない性的指向(ほか変更の効かない属性等)とコンテンツの趣味趣向を同等に扱うのは性的指向の社会的障害を矮小化する」ということはよく言われるんですよ。
例としては「オタクはやめられるんだからやめたらいい」です。
他人の趣味趣向に口を出してやめさせることが許される社会は、「社会主義などの好ましくない書物は読んではならない」等の表現弾圧に容易に接続します。
また文化にランク付けすることで起こっていることが、現在の市場原理的なアートの価値づけ・・・言うなれば「儲かってるアートは許すが儲かってないアートなんか滅びろ」ということだと思います。政治家からしたらオタク文化の方がよほど価値が高いってことになっちゃってるんですよ。儲かるから。私はそれを否定します。アートは全て繫栄するべきです。
「好きになったもの」を辞めさせることはできません。個人の嗜好への介入を断固拒否します。
ただし、当然ながらその好ましくない表現を公に晒すことはしません。これは前のトゥートにも書いたとおりです。
チャイルドマレスターとペドフィリアについての私見2
私は漫画批評を志しているので、表現の自由の自由についても言及するのだけど、私は小児
性愛コンテンツを肯定します。それが深くゾーニングされる限り。
ただし個人的には「見たくもない」というのは正直なところです。これは私の個人的な経験等から出る生理的な反応です。
これは私が好む暴力的な表現を「自分は戦地で地獄を見た、暴力消費表現を心から軽蔑する」と言われることと同等だと思います。その点について言い訳するつもりはないです。私の好むものは倫理に反していて誰かを傷つけます。
小児性愛表現に私が感じていることもまた同様です。
しかし憲法・・・表現の自由は個人の好き嫌いと関係なくすべての人に適用されます。「嫌い合いながら共存」しなければなりません。
なので私は、まったく受け入れられないけど小児性愛表現を肯定します。それが癒しや発散になることを望んでいます。
なお、現実の公共の場や、インターネット上でも公に見られる場での小児性愛表現は現実的な露出による威嚇や支配、いやがらせだと認識しているので強く拒否、否定、批判します。