私は「現代だとうかつにポップアートの話をするとポリティカルコレクトネスの欠如を指摘して批判される」
というのは因果関係が逆だと思ってて、
「1980年代以降に【一億総中流という欺瞞】を盾に暴力的に大発展したポップアートの嘘を、SNSを手に入れたマイノリティが指摘し始めた」
ということだと思うので、「こんなに批判される」じゃなくて「よくここまで無視して作りつづけたなあ」ってことだと思うのよ
私は文化の歩みを否定しない。人権をさておいて作られたハイクオリティな技術を否定しない。
でも、マイノリティが発信できるようになったのは不可逆で、今までに構築された素晴らしい技術できちんと一億総中流じゃなく「本当の大衆」を描けばいいと思ってる。
そのためには批判が要るのです、
批判があれば本当の大衆の姿が見えてくるのです
私はクリエイターを神様だと思ってない。大変じゃん。自分の生活範囲内以外で知らないことってあるじゃん、それは
それを当事者や知識のある人が伝えることをしなければいつまでも文化は育たないと思うのです
そんで、マイノリティを超適当に扱うポップアートがあったらそりゃ怒って然るべきだろうよと思います。単純にムカつくでしょ、そりゃ
あと、
「別に日本の経済圏なんかで描かれたくねーよ」というマイノリティもいると思う。
日本の差別、経済格差や待遇格差、つっーか単純に弾圧と搾取に喘ぐ人からしたら超当然だと思う。
私は日本のポップアートが頂点だなんて思ってないので、そのマイノリティの物語が見たければそのマイノリティの独自文化を味わいに行けばいいと思う。
それでも日本のポップアートで扱いたい、と願うなら、取材して配慮して「お借りする」姿勢なのは当然だと思う。
「なんでも自由に描ける」がそもそも幻想であった、というところからスタートを切り直さないといけないなと。
それでも私は漫画が好きで、申し訳ねえと思って読んでる。
それを人でなしだ、と批判されることは十分にあるし、その誹りは受けなきゃいけないと思う。
でも私のいきるよすがが暴力的な物語なので、これをやめることはできない。文化を簡単に捨てる(それは信仰とも言い換えてもいいと思うんだけど)ことは、やり続ける果てに酷いことが起こる。文化を捨てさせることの効果を私は知ってる。
だから私は許してもらえる方法を探す。
ここまでしても私は読みたいの。