私は「現代だとうかつにポップアートの話をするとポリティカルコレクトネスの欠如を指摘して批判される」
というのは因果関係が逆だと思ってて、
「1980年代以降に【一億総中流という欺瞞】を盾に暴力的に大発展したポップアートの嘘を、SNSを手に入れたマイノリティが指摘し始めた」
ということだと思うので、「こんなに批判される」じゃなくて「よくここまで無視して作りつづけたなあ」ってことだと思うのよ
私は文化の歩みを否定しない。人権をさておいて作られたハイクオリティな技術を否定しない。
でも、マイノリティが発信できるようになったのは不可逆で、今までに構築された素晴らしい技術できちんと一億総中流じゃなく「本当の大衆」を描けばいいと思ってる。
そのためには批判が要るのです、
批判があれば本当の大衆の姿が見えてくるのです
私はクリエイターを神様だと思ってない。大変じゃん。自分の生活範囲内以外で知らないことってあるじゃん、それは
それを当事者や知識のある人が伝えることをしなければいつまでも文化は育たないと思うのです
そんで、マイノリティを超適当に扱うポップアートがあったらそりゃ怒って然るべきだろうよと思います。単純にムカつくでしょ、そりゃ
私なんかは流行りの漫画が分からないことに定評があるのだけど(定評)、
SNSでいつでもリンクが流れてきて・CMでアニメ情報が流れて・店先や飲食店のグッズやコラボでいつでも目にするようなアート
それに関して「本当の大衆の姿」でやってくれよ、という要求はものすごく妥当だと思うのよ。だってその店にもマイノリティはいてお金払ってるじゃん
そうじゃない、深く深く潜った、数を限定したアートなんかで暴力を続けることは、私はいいと思うの。そこでは過去の残虐が生き続けるし、あり得ない甘い夢が広がってるし、想像力と思考力の遊び場で、暴力的だからこそできることがある。暴力を無いことにすると手痛いしっぺ返しがある
他人様の人権を踏みにじっても見たいものがある、
そういうのは、カーテンの奥深くに自分で取りに行かなければ。カーテンをくぐるたび、自分は人様をアレしているがそれでも見たいと、罪を刻みつけながら。