ヘルプマークについてみんなに考えて欲しいこと 

世間の人はヘルプマークに興味ないしどうでもいいから周りにヘルプマークつけてる人がいるかどうか気を配ってないし席を譲ってはもらえない。電車もバスもそう。みんなスマホしか見てない。見た目で病人かわかんないからとヘルプマークつけてても意味ない。具合悪くなりすぎてしゃがみ込んでしまってやっと「大丈夫ですか?」と声はがかけられる。それは有難いけど出来ればその前に気づいてほしい。首からマークを下げても気づかれないだろうと思うくらいにはみんなスマホの画面しかみてない。僕はメンタル疾患・ による があり世界の音や光、車両の人混みや立ちっぱなしの状況、揺れなどで具合が悪くなりやすく人より疲れやすく1日を終え帰宅する頃にはぐったりしており電車やバスで座れるかは死活問題。なんとか最寄駅に着けてもそこから家まで歩く必要がある。時々耐えられず駅からワンメーター分だけタクシーに乗ったり。それが日常。具合が悪くなりやすい人は仕事を続けたり働くことは困難であまりお金はない。でも具合が悪い事は金がかかる。全て繋がってる。でも興味がない・気にしなくても大丈夫な人たちにとってはどうでもいいこと。最近ヘルプマークの効果のなさがその象徴に感じる。 

ヘルプマークについてみんなに考えて欲しいこと(つづき) 

だから、ヘルプマークが認知されるだけじゃ、つけてる人に周囲が気づなくちゃ意味がない。混雑した電車やバスに乗った時、カバンや体の一部にヘルプマークがつけてる人がいないかどうか、スマホに夢中になる前に気を配って辺りを見回してみてくれませんか。あなたが疲れていたり具合が悪かったらいいんです。でも、もし元気で余裕があるなら、一見元気そうに見えても助けを必要とするマークをつけてる人に、席を譲ってはもらえませんか、あるいは席を譲る手助けをしてもらえませんか。具合が悪いと、「譲ってください」という元気すらなかったりします。

  

ヘルプマークについてみんなに考えて欲しいこと(捕捉) 

ヘルプマークをつけている人がいることにことに気づいても、「この人平気そうだな」と思ってスルーする事はあるかもしれません。でも、その人はあなたの知らない内部疾患を抱えていて、その席に数分座れるだけでとても救われる可能性があることを考えてみてください。席をすすめても「大丈夫です」とその人の状態や状況によっては断られるかもしれません。それでも、マークに気づいてくれて声をかけてくれたという事実は「自分たちは社会から無視されていなくて、気遣ってもらえているんだ」という、生きづらさを抱える人にとってかけがえのない希望をくれます(これは僕の個人的な意見です)

     

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