映画の賛否はおいておいて、『怪物』の感想についての話

note.com/yuzuka_tecpizza/n/n3f

この「自分が子供が出来てから『怪物』を見て、自分の「アリエルの配役がいやだ」と思う気持ちが差別だと気付いた」という文章に、一部のセクシャルマイノリティ当事者やアライが「我が事にならないと気付かないのは特権だし差別的では」と厳しい言葉を投げているのだけど、友人のこと、知り合いのこと、子供を持った親となって、そこで初めて気付くこと、得る視点があることすら「我が事にならないと気付かない特権」と否定してしまうと、それはソフトな総括でしかなくない…? というお話

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ぶっちゃけ、人間、友達がなんらかの差別を受けてようがマイノリティだろうが特に視点も開かないし気付かないし、行動も起こさない人のほうが多いので、「友達や子供という身内の視点を得ることで視界が開ける」ことまで「マジョリティは他人のことを見えないんですね」とはねつけるのは、ただの分断だしリベラルの悪癖である総括…。

かつてネトウヨ(俗語)だったけど、なんらかのきっかけで自分の差別に気付く人とかまで切り捨てる態度だし、気付くきっかけを否定してはいけない…

確かに、左翼のあまりの厳しさはやめてほしいです。

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