グチャグチャになったTwitterに文句言いながら(※私も文句しかない)「でも代わりになる場所なんて他には無いからどこにも行かれない」みたいなかんじで嘆いてる人がわりといて、そりゃそんな何年も続けてきたSNSのアカウントとまったく同じものが今すぐ手に入るわけないんだから他のところも今からでも色々試してみて、場とかアカウントを自分好みにまた育てつつTwitterにも出入りするんじゃ駄目なのかな?とずっと思ってるんだけど、選挙に関する諸々とかを見てるとかなり重なる部分があり、こういう、これが駄目ならじゃあ次は別のこともやってみよ!みたいな考え方はもしかして少数派なのか……?と思い始めてきた
@aiknwuriknru 慣れ親しんだものから自主的に離れる、行動を変えるのってかなりエネルギーがいることなんだろうなと思います。
自分の頭で考えて行動するってすごく疲れるし誰かのせいにできないですから、みんなあまりしたくないのかもしれません。
わたし自身はエネルギーをかけてでも変えないといけないときがあると思っていますが…
@nekoshippo_life 自分にも「現状には問題と不満しかないけど変えるだけの気力も体力も時間も選択肢も足りないこと」って沢山あるので、当てはめてみると気持ちわかる部分もあるんですよね…。
どんな人もそれぞれが後悔しない選択肢を自分の責任で選べるだけのチャレンジ精神とか余裕が持てる世の中になればいいな〜…と思います。
マストドンについて
https://xxngxx.site/memo/post-3069/
>なんにせよ、14年もこびりついて手塩にかけて育ててきたTwitterアカウントの代替にはならないだろうし、もしなるにしてもそれには同じ年月が必要なんだと思う。
>テッド・チャンも『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』でそんなようなこと言ってたもんな(そうかな…)(確認したらだいぶ違った)
↓正しくはこんなかんじだった↓
"この世界で二十年生きてきたことから生まれる常識を植えつけようとすれば、その仕事には二十年かかる。それより短い時間で、それと同等の発見的教授方法をまとめることはできない。経験をアルゴリズム的に圧縮することはできない。" - "息吹"著者: テッド チャン, 大森 望
https://a.co/8eWIrUm