「誰一人取り残さない」みたいな物言いが、選挙期間に繰り返し言われ、もてはやされた現象を、ぼんやりと考えている。

いつも「取り残されている」と感じていた多くの人々は、マイノリティ属性を生きる人々ではなくて、あげる声を持たずにいた人々なのではないか。

文字を積極的に読む習慣がない。またはその時間を取れない。この世界で何が起こっているか、知る手段がテレビでしかないような。ただ、普通に暮らすことが幸福であって、そこから外れることはなんだかよくないことだと、いつの間にか信じ込まされている人々。

誰かの描いた物語通りの世界を信じ込まされている人々が、変化を恐れ「取り残されるのではないか」と怯えていた。

その人々の不安を、言葉はどう取り除くのか。

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なるほど🧐と、感じました。

いわゆる「無党派層」の一面なのは間違いない

私としては「ポピュリズム」による解決は、うまくないと感じています
なにしろ『発展性』に欠けるように思いますし、いくらでも悪用が効いてしまう

れいわ新選組の切り口が浸透しないのは、その点に於いてむしろ良かったかも知れません。

ですが、仰る通り「言葉の仕事」がどこにあるのか、皆目見当がつきません。

コレは社会全体の「洗脳」なんだろうなあ。

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