「毎日」の歌詞、どういう目線で書いてるんだろうな。啄木を引用してるわけだから正面から素朴に読むのは違うんだろうなとは思うけど。GRAPEVINEの「TOKAKU」とか「聖ルチア」っぽい。

いじわるな読み方をすれば、大衆作家としての枠内で(つまりマジョリティの視線に添うようなものの言い方の範囲内で)、中身としてはジョージアのCMソングでありながら労働者の経済的困窮を表現するという「攻め」をやりつつ、更に啄木を引用することでそれを読み取れる人に対しては自分はむしろ(社会運動に直接コミットするわけではないが理想としては)アナキズムの側に共感していますよ、という目配せをしているという感じがする。

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いじわるといいつつ、かなり好意的な解釈をしました。実際の読み味はやっぱりちょっとそれとも違う気がします。

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