あの美術批評家の人、純文学に親でも殺されたんかな

「書かれていない空隙から読み解く」ってのはよくやる手法ではあると思うんだけど、

なんというか、儲ける儲けないってのは「生活or死」のまろやかな言い方だし、

「余暇ではない労力を投入している制作物が食うに足りるだけの金銭的な資源になり得るか」ってことを全く気にせず創作物を作ることって、あまり想定ができない。19世紀イギリスのアッパー階層みたいな感じか。

労働時間と賃金報酬に相関がある以上、アートにかけた時間と金銭の利益を完全に考えない、ってわけにはいかないのでは

具体的にいうと、
純文学を書いて「儲かる/儲からない」から完全に意識を切り離せるのって

・親がはちゃめちゃ太い
・配偶者がはちゃめちゃ太い
・過去に自分がはちゃめちゃ稼いだ

とかっていう、とにかく「純文学でお金を稼ぐ必要がない」状況でしか成立しないのでは?という疑問があって、

そんな浮世離れした「純文学者」もなんだかなあって

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100年前の「純文学は儲かりませんなあ」と、現代の「純文学は儲かりませんなあ」

インフラのレベルが違いすぎるし、同時にインフラを維持する、生活に必要な金銭的なボトムも違いすぎる

NHKの『坂の上の雲』の秋山兄弟みたいな、半裸で薪割って暮らしてた頃なら、米と少しの味噌で生きてたりしただろうけど。。現代ではちょっとねえ。。

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